ここに





 彼は、真っ直ぐ窓の外を見つめていた。
 窓の枠の中から見える景色は、白く色づき始めた空と、その中にぽつんと残る小さな星ひとつ。
 薄い小さな星は、その輝きの輪郭の境をあいまいにして、ゆっくりと空にとけていく。

 朝がきて、見えなくなってもこの綺羅星は、この空の上にあるという。

 だけど、アスカには『見えない』という事があんまり好きじゃなかった。
 目に見えることだけがすべてじゃない。それはとても素敵で美しい言葉だけれど、そんな綺麗なだけの言葉じゃ足りない時がある。
 目に見えて、そして、出来るならば触れることが出来る方が良い。そこに確かにあるのだと、安心させて欲しい。

 彼に倣って見上げていた空の星の輝きが、明るい空にかき消されていく。少しずつ。確実に。
 突然、ずっと動かなかった彼がおもむろに身を寄せてきた。銀の髪が頬に触れて、ふっと吐息が肩に掛かったのでアスカはぎょっとなった。

「なッ ……なによ?」

 彼は黙って頬を肩に寄せてくる。紅い瞳を瞼に隠して、寄せたその先にそっと触れるだけのキスを落とす。

「ちょ、ちょっとッ」
「……君が、あまりにも真剣にあの空を見ていたから」

 漸く、彼が小さく囁いた。アスカは顔をしかめた。

「……意味がわからないんだけど?」
「あの星を追って、君も共に消えてしまうかもしれないと思ったんだ」

 一瞬の間を置いてから「バーカ」とアスカは言った。星を追いかけるなんて、無理な話じゃないかと。だが、馬鹿にしたその声が、彼女が思っていたより小さくなってしまったのはきっと、彼と似たような事を考えていたからだ。
 消えていく星と、すぐ隣に居る彼を重ねていた。すっと、なんの余韻さえも残さずに、明るい空の色にとけてしまう彼を想像していた。
 だから、彼が動かなければアスカが動いていた。その近くにあった白い腕を強く掴んでいた。消えてしまわないように。

 彼が黙ってしまったので、アスカもそれ以上は何も言えなかった。二人の間に沈黙が下りてくる。遠くから、車の走る音が聞こえてくる。

「卑怯な言い方になるかもしれないけど……君の居なくなった時が、君の世界が終わった時が、僕の本当の最期の時だ。だから、何も告げずに、ここから消えて居なくなってしまうのはダメだよ」

 ぽつり、と彼が言った。急だったせいで、アスカは最初、何を言われたのかわからなかった。なんですって、と問いかける前に彼の腕を背中を這う。抱き締められるんだと気が付いて、アスカはふっと身体の力を抜いた。
 僅かな力に引き寄せられて、彼と向かい合う形になる。彼の白い姿に、空と同化していく星を再び思った。

「あんたこそ。あんたは、あたしの世界で唯一の、あたしだけの居場所になったのよ。だから……勝手にあたしの前から居なくなるんじゃないわよ、カヲル」

 カヲルは一瞬驚いたような顔をして見せて、そしてふっと柔らかい笑みを零した。

「フフ……そうか。君の世界で唯一の、か」

 彼に劣らずクサいセリフを言ったんだと、アスカは気が付いた。恥ずかしさに頬を熱くしながら誤魔化す為に開いた唇を、彼のそれに塞がれる。
 唇が離れると、アスカは目だけを窓へと向ける。その先にはもう、星はなかった。
 だけど、彼はここに居る。目に見えて、触れる事の出来るところに。
 優しい眼差しで、アスカを見つめて。






2010/06/04