開け放たれた窓
吊るされたカーテンが微かに揺れる程度の、穏やかな微風
それに乗って転がり響く、涼やかな風鈴の音
でこぴんとキス
くそ暑い、この炎天下の中。
二人分のアイスを片手にわざわざやって来たというのに、その部屋の住人は部屋の端、壁によりかかって呑気に居眠りを決め込んでいた。
昨日は、シンジらと遅くまでTVゲーム大会をしていたらしく──ココに来る前に、電話口で聞いた所によると、どうやらケンスケの一人勝ちだったらしいが…──あまり寝ていない、とは言っていた様な気がする。
だが、彼女にとっては、そんな事が自らを出迎えずに眠っている、という事の理由にはならなかった。
「……折角来てやったってのに、なんで寝てんのよ、バカ」
意識を夢の中に飛ばしている彼には、そんな呟きの様な雑言は聞こえない。
しばし、彼女は彼を見つめて佇立していたが、おもむろに歩き出した。
彼のすぐ前までやってくると、その投げ出された足の間に腰を下ろす。
すぅ、と小さい寝息が聞こえてきた。
「…………」
彼女は手を上げると、彼の頬へをそれを伸ばした。
そっと、おそるおそる触れた頬は、暖かい。
「……カヲル、起きなさいよ」
彼女の声にも眉一つ動かさない彼は、確実に心を夢の中に沈めている。
それが、更に憎たらしく思えた。
今度は、その手を宙に浮かせた状態で、彼の額へとそっと移動させる。
なんの予告もなしにピシッ、と額を中指で弾いてみせると、小さく呻く声が聞こえ、彼の端正な顔が微かに歪む。
ようやく、何かしらの反応を見せたので、ふふん、とアスカは上機嫌に笑う。
「このあたしを無視するからよ。…こら。起きなさいよー、バカカヲル。……起きないと、もっと痛いの喰らわせるわよ?」
顔を覗き込んだ。もう一回おでこを弾いて、至近距離から彼の表情の変化を見ようとして。
が、その企みは、次の瞬間に簡単に砕かれてしまった。
「………それは困るな」
思いもしなかった、まだ目を閉じて居る彼からの返答に、ぎょっとした。
びっくりして飛び退こうとしたが、いつの間にやら腰に彼の片腕が回っていて、それは叶わなかった。
その手が彼女を軽く引き寄せれば、彼女は簡単に彼との距離を更に縮める事になった。
とん、と身体が当たり、後頭に空いた手が添えられる。
それも軽く引かれて、ちゅっ、と小さな軽い音が響いた。
「……で、一体。いつから起きてたのよ、あんたは?」
唇が離れての第一声。
カヲルは首を傾げながら、頬を薄らと染めるアスカを見つめて、瞳を細めた。
「君に額を弾かれてからだよ。……結構、痛かったな」
「……。あんたが寝てたからよ」
どこか、抗議する様な目で見つめられて、アスカは僅かにたじろいだ。
「だからって、無防備に寝ている所に、いきなり攻撃してくるのは酷いんじゃないか?」
「何よ、その言い方。……そんなに痛かったわけ?」
アスカにとっては、自分が来てやったのに出迎えもせずに寝ていたから…という、自分勝手だが、十分な大義名分があった。
それなのに非難の言葉を受けたので、彼女の瞳がほんの少し鋭くなった。
カヲルは、それを平然と受け止めながら、彼女の耳へと口を寄せる。
「…痛かったよ。凄くね」
囁く内容とはほど遠い、柔らかい声色。彼は顔を、ゆっくりと離した。
頬に手を、そっと添える。
「ねぇ、アスカ。…さっき指で叩いた所に、キスして欲しいな」
「………は?」
間の抜けな声が上がる。きょとんとして、それから次第に頬を薄紅に染めるアスカに、カヲルは同じ言葉を重ねる。
「キス、だよ。君にキスされたらきっと、痛みがすぐ引くと思うんだけど?」
安いものだろう?と、添えた手で、赤く染まった頬を何度も撫でる。
「……何でキスなのよ? っていうか、まだ痛いの?」
「一度でも、君からしてくれないからだよ。………してくれないなら、もっと凄い事してこの痛みを治してもらおうかな?」
睫毛を伏せ視線を下ろす。下ろしたその先の場所を見つめ、口元に笑みを浮かべながら、すっぱりととんでもない事を言ってのけるカヲルの額へと、アスカは少し視線を上げる。
……彼の言う『もっと凄い事』が、その向けている視線の先を見て、何の事か、大体の検討がついてしまったからだ。
「……一回だけでいいのよね?」
「何回でもしてくれるのなら、それはそれで大歓迎なんだけど?」
「……ずぇッたい、しないわよ!」
ぴしゃり、と言葉をはね付ける。アスカは膝立ちになり、改めてカヲルとの距離を詰める。
彼は腕を下ろし、彼女のどこか緊張している様子に、可笑しそうに、だが、愛しげにその目を細めて見つめる。
「……目、閉じて」
「口にするわけじゃないだろう?」
「いいからッ さっさと目を瞑る!」
やれやれ、とゆっくり目を伏せるカヲルに、アスカはそっと頬へと手を添える。
「……あたしがいいって言うまで、絶対に目を開けちゃダメだからね」
「ああ、わかった」
頷くのを確認してから、アスカはゆっくりとカヲルの額へと顔を寄せる。
額に掛かる髪を、彼がいつもしてくれるように、ゆっくり掻き分ける。
その現れた所へ、そっと唇を寄せると、瞳を閉じ唇を当てた。
……体温が低いせいか、触れた部分が冷えている様に感じた。
「……もう、いいかい?」
「まだダメ」
顔を離して、カヲルを見ると、彼は言われたとおりに、瞳を隠したままだ。
アスカは、こっそりと小さく微笑んだ。
その場にぺたん、と座り、彼の顔を刹那の時だけ見つめ。
胸を早鐘の様にならしながら、彼との距離を縮めていった。
そして、彼の吐息を感じた瞬間、自らその距離を縮めて、唇を重ね合わせた。
ちりん、と遠くで、風鈴が風に揺れる音が聞こえた。
|