冷たい空気に触れた手
ひやり、と冷たくかじかんでゆく
その温もりを、少しずつ奪われて
冷たい手
「ごめん、遅くなったね」
やっと掃除を終わらせてきたカヲルは、教室のドアから顔を出して、彼を待っているであろう人に笑みを向ける。
「ったく…、遅いわね。なんでこんなに時間掛かるのよ」
廊下の外で待っていたアスカは、呆れた、と小さくため息をつく。
頬に掛かっていた長い髪をかき上げると、カヲルを正面から見る。
「隅にあるゴミを掃いてたら結構、時間が掛かってね。…寂しかった?」
正面から向かい合ってくす、と声に出して笑うカヲル。
アスカは黙って彼を一瞥すると、背を向けて歩き出した。
彼もまた、その足に続く。
「今日は、このまま真っ直ぐ帰るのかい?」
「ううん、ちょっと寄りたいトコあるんだけど…?」
つ、と顔を後ろのカヲルに向ける。
目が合うと、彼はにこり、と微笑んだ。
「もちろん、僕も一緒していいんだよね?」
軽く首を傾げて問い掛けてくる。
アスカはこくり、と小さく頷き答えた。
「……じゃなきゃ、あんたなんか待たないんだけど?」
そうだね、と彼は更に嬉しそうだ。
そう露骨に、嬉しさを表現されて。
照れくさくなったアスカはふい、と顔を正面に戻した。
彼女の心情の変化に気が付いた彼は、愛しそうに目を細めて、その背中を見つめ続けた。
学校を出て少し歩いてから、カヲルは不意にアスカの手を掴んだ。
暖かい温もりに包まれたのが、あまりにも突拍子過ぎて。
アスカは驚いて立ち止まり、彼に顔を向ける。
「!? …な、何よ?」
「やっぱり、冷えてるね」
カヲルは繋いだ手をゆっくりと持ち上げて、冷たくなった指先が彼女の視界に入る様にする。
「仕方ないでしょ? 女の子は冷え性、多いのよ」
「君は熱がりっぽいのにね? こんなに冷えてしまって…」
「なにそれ、ケンカ売ってんの? …んなこと言ったらあんたこそ、体温低そうなくせにあったかいじゃない」
「フフ。その言い方は、少し酷いんじゃないかい?」
立ち止まったまま、他愛の無い会話が続く。
その間も、カヲルはアスカの冷たいままの手を握っている。
そうやって二人で時を曳いてから、彼はふ、といい案が思いついたように小さく微笑んだ。
「そうだ。…こうしたらもう少し早く暖かくなるかもしれない」
突然、話の腰を折られて、アスカは微かに眉をひそめる。
彼は構わず、彼女のもう片方の手首を掴むと、一気に引き寄せた。
バランスは崩さなかったものの、アスカは足を一歩踏み出して、カヲルとの距離を縮める。
彼はそのまま、彼女の手のひらを、自らの首に添えて、触れさせる。
「…ッ ちょっと!」
冷たい手の触れた彼でなく、暖かいものを感じたアスカが驚いて小さく震えた。
急いで手を退けようとするが、カヲルの手がそれを許さない。
「なななッ、何してんのよ、あんたはッ」
慌てるアスカを気にする風でもなく、彼はそのまま微かに首を傾げた。
「見たら分かる通りさ。……君の手を温めてるんだけど?」
「な…ッ そ、そんな事、しなくていいわよ!」
確かに、彼女の触れている所はとても暖かい。
だが、それ以上に彼は今、冷たさを感じているのだ。
落ち着かないアスカは、今だ彼の手から逃れようと腕に力を込めていた。
「こうした方が、僕の手よりもずっと暖かいから、すぐに暖かくなるだろう?」
「でも、こんな事したらあんたが寒いだけでしょうが!」
恥ずかしさもあってか、軽く怒鳴りつけるさえするアスカに、彼はうっすら微笑みさえ浮かべる。
「心配してくれてるのかな? 嬉しいよ」
「当ったり前じゃないッ あんたがあたしを心配してくれてるくらい、あたしだってあんたの事、心配してんのよ!」
勢い良く言い放ち、それから、自らの言葉にあ…ッ、と声を上げ、頬を紅潮させた。
少し、引いていた腕の力が抜けたアスカに、カヲルはフ、と笑みを深くする。
「……それは、本当に、嬉しい事を聞いたな」
あまり言葉で表してくれない、彼女の彼への想い。
直接聞けた事に、カヲルは微笑んだまま片手を解放すると、その空いた手でアスカの脇に腕を通して抱き寄せた。
更に、ぐっと彼との距離が近くなる。
ぎょっ、として彼女は、身体を強張らせた。
「こッ……コラ! こんなトコで何すんのよッ!?」
そう言ってアスカは暴れかけ、不意にくすくす、と聞こえた笑い声に、その動きが止まる。
彼女の少しだけ顔を傾けた先には、下校途中の他の学年であろう女の子二人。
何で笑われたのかわからないが、アスカはそのまま凍りついたように動けなくなった。
しばしのち、見られた事と笑われた事の恥ずかしさで、微かに赤くなった顔を、前にあったカヲルの肩に押し付ける。
「笑われちゃったね? …続きは帰ってからにしようか?」
続きって、大体帰ってからって何よ、とアスカは訝しげな顔を向けると、軽く唇が触れ合った。
突然の事に呆けてしまった彼女を、カヲルはおっとりとした笑みを向けて見つめている。
何も言えない彼女はこくん、と小さく、頷いてしまった。
それを確認すると、カヲルは回していた腕を解いて、首に当てていた手を下ろさせた。
だが、掴んでいた手は離さずに、そのまま指を絡めて握られる。
「折角暖かくしたのに、すぐ冷めちゃいそうだからね?」
繋ぐ事への許可を得るような言い方をして、カヲルは緩やかにき出した。
少し引っ張られるように、アスカは彼の後に続く。
それからゆっくり、暖かくなった手で彼のそれを握り返した。
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