その日は、二人がそれはそれは幼かった時から行っている、今となってはどこまでお互いが本気なのかわからない『イベント』がある。 昔は幼いせいもあったし、居るものだと信じ込んでいた為、本気であった。 少し離れたリビング。テーブルにお皿を並べながら、暖かい視線を向け見守る女の子の母親の視線に気が付く事無く、二人は小さな頭を寄せ、秘密めいた小さな声で囁き合う。 特に、女の子の方はその性分に違わず、とても熱心だった。少女になった今になると、その一部を思い返すだけでも恥ずかしくも思えるような作戦を立てていた。 その、女の子の前にいる男の子もそれなりに本気であるらしく、いちいち熱を入れて語るその子供だましの作戦にうん、と笑って相槌を打つ、大人たちから見れば微笑ましい光景だった。 勿論、今の歳になる前から、二人には『それ』が居ないことにとっくに気が付いていた。 だが……、今もまだ暗黙の了解があるらしく、その『恒例行事』は続いている── 「今年もやるわよ? ……勿論、予定なんて入れてないわよねぇ?」 上からモノを言うような横柄な態度に不快げな色を微塵も見せず、彼女の前、廊下の窓際の縁に背を預けている彼──渚カヲルは、いつものようにおっとりとした笑みを浮かべる。 くせのある銀の髪を揺らして、頭を縦に一度振った。 「確認されるに及ばず、さ。……いつもの時間に行けば良いんだろう?」 期待通りの言葉が返ると、彼女は満足そうに口の端を上げて、ふふん、と上機嫌に笑う。 「よろしい。……いい? 絶ッ対、遅れたり、他に予定入れるんじゃないわよ?」 「わかっているよ、アスカ」 強く念を押して、彼に背を向けて歩き出そうとした。が、腕を掴まれてかくっ、とその動きが止まる。 姿勢を正してから何よ?、という言葉を顔に出しながら振り返ると、カヲルは微笑んでいた。彼の意図が全く掴めず、アスカは碧い瞳を細くする。 「………? なに?」 「君も、予定を入れてはダメだよ?」 アスカは瞠目して、何度か瞬きを繰り返しながら彼の言葉を反芻した。 いつもならここで話が終わって、二人はあとは思い思いの時間を過ごしていたのに…。 「……あたしが今まで急に予定とか入れた事なんてないでしょ? なんなのよ、イキナリ」 すぐには答えず、彼はじっとこちらを見つめている。一度も外される事のないそれに、少し落ち着かなくなった。 大体、ココは学校。しかも、お昼休みの廊下で、アスカの後方、カヲルにとっての前方には自分たちの教室。 二人では向かい合っていて、挙句に片手を掴まれている状態。……何か勘繰られてしまうかもしれなかった。 そういう、アスカのはらはらした心境なぞ気づいていないのか、それとも、知りつつも気にしていないのか。彼は変わらず微笑んでいて、掴んでいる手の力を緩める気配もなかった。 「今まではそんな事はなかったけれど、今年は限らないかもしれないだろう? ……だから、僕からも言わせてもらったんだよ」 「何よそれ。言い出したあたしが約束破るかもって疑ってんの?」 漸く返って来た言葉に、表情が不機嫌に染まる。だが、彼女のその色でさえ可愛いと思えるらしいカヲルはそうじゃないよ、と言う。微笑んだまま。 「ただ、ちょっと不安だっただけだよ」 不意を突くように、彼は掴んでいた手を引いた。アスカはえ?と声を上げる間もなく、カヲルの元へと正面から飛び込んだ。 一瞬呆気に取られ、すぐに我を取り戻すと何すんのよ!と声を上げようとした。が、その口を何か温かいもので塞がれてしまった。 その温かいものがカヲルの唇で、キスされた事に気がついたのは、一旦離れた彼が、角度を変えてもう一度それを重ね合わせて来てからだった。 反射的に瞳を閉じ、ん…と小さく声を漏らしてしまう。頬を指先で何度も撫でられてから、一度目より長いそれが終わる。そして、今度こそ彼の顔が離れると、アスカは真っ赤になりながら身を引いた。彼は、掴んでいた手を離してくれている。 「な…ななな、な……何すんのよ、あんたはッ!」 「何って……わかっているだろう? …わざわざ言葉で表して、確認して欲しいのかい?」 さらっと、更に恥ずかしさが倍増するような言い方に、アスカは耳まで赤に染める。何より、この男にとっては、キスだの口付けだのという言葉は恥ずかしいワードの内に入らないのだ。さらっと言い放つ様子を容易に想像してしまって、アスカはぶんぶん、と頭を強く振る。 「い、いい! 言わなくていい! 言わなくっていいわよ!!」 その長い髪がはらはら、と揺れるほどの勢いのよさが面白いらしく、彼はおかしそうにはははっ、と声を上げた。 「そ、そんなに笑うことないでしょ!」 「仕方ないだろう? …君がそんなに可愛らしく拒否するからね」 「か…!? いい、意味がわからないわよ! 何が! 一体! どー見えて、可愛いってのよ!?」 「意味はそのままさ。可愛いは可愛い。……何が、とは君の仕草の一つ一つだよ? どう見えて、はそうだな……昔からそうとしか見えないから、どう説明したらいいか困るな…」 もはや、周りの様子が見えず怒っているように怒鳴るアスカに、彼は気圧される様子は全く見せずに、いちいちマイペースな答えを出す。 そんな彼に、このパターンならば昔から──最近は特に、だが──白旗を揚げる事になっているアスカは、今までの例に違う事無く、言葉が無くなる。 「………」 何を言っても、更に変な話に勢いがついてしまいそうで黙ってしまったをアスカを見ると、彼はくすりと小さく笑う。 何か付いているものを取ろうとするような仕草で長い髪に触れると、意地悪い笑みの浮かんだ口を彼女の耳元に寄せる。 「そうだ……そろそろ、建前抜きの、ちゃんとしたお誘いが欲しいんだけどな、僕は」 「………? …な、なんの話よ?」 「フフ……本当は、君だってわかっているんだろう?」 言い終えると同時に耳たぶを歯で甘く噛み、顔を離した。アスカはぎょっとして、耳を押さえて飛びのくように後ろへ下がった。先ほどからの彼の行為に、全く頭が付いていけない。 「な……な……?」 「来年こそ、たのしみにしているよ? まあ、それより先に僕からお誘いをさせてもらおうかな? …誰かに取られるその前に」 アスカの背、教室の窓からこちらの異様な様子に気が付いたクラスメイト数人に、挑戦的に目さえも合わせながらカヲルははっきりと言って、笑みを浮かべる。 含みを持った、その笑みを。
クリスマス
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