「…………」 「…………」 「…………」 「……ねえ、ちょっと」 ついに耐えかねたアスカは、身体を捻り、首を僅かに傾けるとすぐ背後にいる幼なじみを見た。 彼は瞼を薄らと開いて、紅い瞳を現せた。 「……なんだい?」 「……あたし、すっごく暑いんだけど?」 今は真夏。 クーラーは電気代節約の為、長時間の使用は禁止、との母子家庭の惣流家の決まり事で、今あるのは扇風機から送られるぬるい風のみ。 「そうだね、暑いね」 「……暑かったら普通、こんなにくっついたりなんかしないわよね?」 緩やかな風の送られるその先には、右側を下にして寝転がるアスカと、そのすぐ隣、背後から彼女の腹回りに左手を伸べているカヲルの二人。 「小さい時はこうして二人でお昼寝をしてたじゃないか」 「お昼寝はしてたけど、こんなにくっついてなかったわよ」 不機嫌に言い放つアスカに構わず、カヲルはさらりと否定を返した。 「いや、同じくらいさ。……昔は君の方から僕の隣に来ていただろう?」 よく覚えているものだ、とアスカは感心しながら、過去の自分の行動を想い頭を押さえた。……彼女自身、その事は彼よりも鮮明に覚えているのだ。 「……そ、そうだったっけ…? ……あ! あの時はほら、確かお留守番してたじゃない。ママがいなくてあたし、寂しかったのよ」 「そうだった、かな?」 その辺りの記憶は曖昧ならしく、思い出そうとして彼は口を閉ざした。アスカはそうよ!、と強く頷いた。 「おかしいな……、君のお母さん、居たような気がするけどな。僕達が寝転んではしゃいでる時に飲み物持ってきてくれたような…」 「飲み物! そ、そうよ、何か飲まない? ほら、暑いから喉渇いたでしょッ?」 どこか慌てた様子で、アスカはむくっと勢いよく上体を起こした。カヲルは片手を浮かせて、彼女から腕を解く。 「お茶、冷やしてたからそれでいいわよね? 今から持ってくるから、大人しく待っていなさいよ?」 早口に言い、立ち上がるとすたすたと歩いていく。ドアを開け、一度止まってちらり、とカヲルを見てから、アスカは部屋を出て行った。 残され、その間ずっと横になった状態で彼女を見ていたカヲルは、その視線を落とした。 先ほどまでそこにあった、今の時期だから確かに暑いとも思えたが、手放したくなかった温もり。それを求めるように、彼女が横になっていた所を見つめて、そっと手のひらを滑らせた。 「……いつまで、君と一緒に居ることが出来るかな」 最近になって特に強く感じてきた、ふとした時に過ぎる不安が無意識に口から零れ落ちた。 幼い頃からずっと、二人は一緒に過ごしてきた。彼にしてはそれが当たり前だったし、その先もずっと、アスカの隣に居るのは己だと思っていた。 今でもその想いは変わらないし、そう願ってもいる。 だが、彼女はどう思っているのだろう。 幼なじみだから、と今はまだ、学校ではとにかく、どちらかが家へと遊びに行った時は、近くに居ても嫌がる事はない。さっきみたいに、子供の頃にしていた軽いスキンシップくらいなら、これも二人で居る時限定でだが、そう怒られる事もない。 「大好きだよ」と言っても、「バカ!」と返して怒ったり、照れたような顔をしてくれるけど、明確な答えが返ってくる事はない。……いつも言っているから、そう本気で言っているとは思っていないのだろう。 「アスカに好きな人が出来たら、どうなるんだろう?」 己と共に居る時間が削られて、その分だけ、その人との時間にあてるのだろうか。 彼女の心の中にはいつも僕ではない『彼』が居て、僕と二人、今日みたいになんでもない話をして過ごす時にも、その『彼』の話が出るのだろうか。 もしかして、今まで見せた事のないような笑顔で、彼女は『彼』の名を話の中で呼ぶのかもしれない。『彼』と昨日はどうしたとか、『彼』のここがむかつくんだけど、でもここが好きで……と、彼女にとっては些細程度でしかない話をしてくるのかもしれない。 ……それを、幼なじみ以上の感情を抱いた己が、冷静に聞けるのだろうか? 心を、表情を凍りつかせずに、いつものように微笑む事が出来るだろうか? その時、まだ想いを捨てきれず「好きだよ」と言ったら、彼女はどんな顔をするだろう…… 「……考えたくもないな。このまま変わらずに居たいな。……このまま」 鈍い痛みを感じた気がして、カヲルの眉間にシワが刻まれる。 彼女の、この手の話題にだけは心をかき乱される。たまに沸いてくる根も葉もない噂話でさえ、最近はといえば、きごちない微笑みを張り付ける事しか出来ない。 ……そこまでカヲルはアスカを想い、恋焦がれている。 重い気持ちを吐き出そうと、カヲルは長いため息を吐いた。ほんの少しだけ、気分が落ち着いた。 が、それだけではすぐに暗く沈んでいるものが心を濁らせる。彼は紅い瞳を閉じた。…安息の闇が、思考を鎖した。 きしきし、と床を鳴らしながらこちらへと近づいてくる音、遠くの蝉の声。 幼い頃の、こちらへと駆け寄ってくる小さなアスカが、瞼の裏で微笑んでいる。
とある夏の日
k side |