お互いの姿が見えると、アスカの方はこちらへ来るように軽く手を振り、カヲルの方は微笑みを浮かべ、黒のジーンズのポケットに手を入れたまま早足に駆け寄る。 今年も、待ち合わせの場所にはアスカの方が先に着いていた。 「……5分! ちょうど5分遅れてくるなんて、もしかしてわざと遅れて来てるんじゃないでしょうね?」 長い髪をアップにして、華やかな、赤を基調とした着物姿以外いつも通りの彼女は、不機嫌さを眉を寄せる事で示した。カヲルは苦笑いして癖のある髪を揺らしながら頭を左右に振る。 「そんな訳ないだろ。…去年より3分早く出たんだけど」 「なんで早く出るのに3分、ってきっちり計ってんのよ! しかも、なんで去年に家を出た時間まで覚えてんのよ! っていうかね、あんた去年は10分遅れてんのよッ? それならもっと前に出て来なさいよッ!」 アスカの大きな声に、何事かと道行く人々は一度立ち止まり、二人を交互に見てから通り過ぎていく。 「君だって、去年の事しっかり覚えてるじゃないか。時間まできっちり覚えてるなんて結構………ごめん、僕が悪かったよ。だから、先に行かないでよ」 ぷい、と背を向けて歩き出した彼女を慌てて追う。すぐに追いついて並ぶと、カヲルは片方の手を隣へと差し出した。 「はぐれたらダメだからね?」 断りを入れないと、彼女が心中で想いを同じにしていても、なかなか手を繋いでくれはくれない。……彼にしてみると、そんな所もなかなか可愛いらしいが。 「…仕方ないわね。あんたが迷子になったら後が大変そうだし」 そっと、控えめに差し出された手はカヲルの手のひらに添えられた。彼がそれを握ると、アスカも弱く返してくれる。 「うん。きっと大変だね。……迷子になったら、君の名前を叫んで捜すから」 他人事のように言われた言葉。その光景を思い描いてみたのか、ほんの少しだけ彼女の頬に赤みが差した。 「………絶ッ対、あたしとはぐれるんじゃないわよ」 顔は前を向いている。が、繋いだ手の力が強くなる。気づかれぬように、カヲルはこっそりと微笑んだ。 「で、さ。あんたは何かお願いしたの?」 初詣の帰り。人ごみに混じって、二人は行きと同じように手を繋いで歩いている。アスカは、隣の彼へと顔を向けて問いかけた。 カヲルはうーん、と小さく唸って、少し遠くを見るように顔を上げ紅い瞳を細めた。 「……家内安全」 去年は聞いても教えてくれなかったのに。今年は予想外なほどあっさりと答えが返ってきたので、ちょっと身構えていたらしいアスカの肩の力が抜ける。 「………ふ、ふーん。まあ、あんたらしい平凡な願いね」 「世界平和。戦争根絶」 「……まだあったわけ? しかも随分、規模が大きくなったわね」 「君が今年も何もなく、健康に過ごせますように」 「…………」 次の反応がないので、カヲルは彼女の方を向く。瞠目して、こちらへ向けられる視線に彼は不思議そうにぱちぱち、と目を瞬かせた。 「どうしたの?」 「べ、別に……」 頭を振って、アスカは前を向く。動きをぎこちなく感じながら、彼も彼女に倣って前に目を向ける。 「……で、それだけ?」 「……? それだけって?」 「あんた自身の事は? 何もお願いしなかったの?」 カヲルは心底不思議そうに眉を寄せて、首を傾けた。 「さっき、言っただろ?」 「え? ……、家内安全が?」 「それもそうなるのかな? ……君の事だよ。僕の願いは」 今度は彼女の足が止まる。急だった為、後ろから来ている人とぶつかりかけたので、カヲルはアスカの手を引いて強引に傍に寄せると、道を譲った。 それから、すぐ近くになった彼女の顔を正面から見つめる。 「……一体、どうしたんだい?」 二度目の問い掛け。だが、漸くアスカの動揺している訳がわかったので、意地悪く表情が歪んでいる。 「…ど、どうもしない、わよ…」 それに気が付く余裕のないアスカの頬が、薄く染まる。お願いの話のせいか、もう少し近づけば直接温もりを共有出来る距離にまで居るせいなのか。 どっちにしても、カヲルはそれで話を終わらせるつもりはないし、寄せた手を離すつもりもない。 「僕はね。僕の大切な幼なじみの君が、昔と変わらずに元気で居てくれるだけでいいんだ。…それ以上、願う事なんか何もないよ」 「……」 熱の集中し始めた顔を隠そうと、アスカは俯く。が、長い髪を後ろで纏めているせいで、真っ赤になった耳はどうしても隠せなかった。 「ふふ……もしかして、照れてる?」 「て、照れてないわよッ」 赤くなった耳が彼から見えていることに気が付いてはいる。が、彼女にとって、それを認めるのは酷く恥ずかしかった。 手、離しなさいよ、と彼女は呟く。流石に人の目の多いこの所で、近い距離に居るのが耐えられないらしい。 「……じゃあ、顔見せてよ? 照れてないなら、そのくらい平気だろ?」 戯れに、とばかりに耳元へ口を寄せるとアスカの頭が動く。だが、手をしっかりと掴まれているので、逃れきれない。彼の吐息が耳を触ると、アスカぎくっ、と肩を震わせた。 「……か、顔見せるからッ だ、だからこれ以上顔近づけないで!」 「そんなに嫌がらなくてもいいと思うんだけど……ま、確かに。こんな所じゃ、流石に不味いか」 ぱっと手を離すとアスカは勢いよく身を引く。が、タイミング悪く後ろに居た人にぶつかって、その勢いに押された形で、カヲルの腕の中へ飛び込んでしまった。 おっと、と彼はアスカを抱きとめる。それから、彼女がぶつかってしまったらしい人に頭を下げた。 顔を腕の中に居る彼女に向けると、おかしそうにははっ、と笑った。 「……この場合は、おかえりって言ったらいいかな?」 「ふッ、不可抗力よ! ……お、おかえりって、一体どういう意味なのよ、バカ!」 もう一度、彼女は身を離した。今度は、人に当たらない様に慎重に一歩、一歩下がっていく。 その様子がおかしくて、カヲルはぷっ、と吹き出した。 「わ、笑うんじゃないわよ、このバカッ! ……もう、帰るわよ! あんたと話してたらいつまでも帰れないじゃないッ!」 「先に話を振ってきたのはアスカだろ? それに、さっきまでの事だって別に僕が…………ごめん。確かに色々と調子に乗ったね。それは謝るよ。だから、先に行かないでよ」 身を返し、ずんずんと家路に向かうアスカを追いかけ、今度は何の断りも入れずに手のひらを掴むと、指を絡めて強く握る。…一か八かだったが、それは振り解かれる事はなかった。 「ごめん、アスカ」 「…………。もう、いいわよ」 「真っ赤になったり、ちょっとドジしたりしてさ。あんまりにも君が可愛いから」 「だ、だから、もういいって言ってるでしょ。……可愛いからって、なんで笑うのよ」 不機嫌そうに目を据わらせているが、頬が少し、赤くなっている。そんな彼女がとても可愛らしく思う。 「愛らしくて、気持ちが温かくなるから……かな。……今の君も、顔が赤くて可愛いし」 はっきり指摘されると、アスカは顔を彼と反対側へと向ける。 「……ばか」 「そうだね。君の言うとおりバカだと思うよ」 「ばかばか、ばか」 「うん、バカだよ」 「ばか、ばかばかばかばかばかばか」 「……流石にちょっとへこんでくるんだけど?」 「うっさいわね。あんたは自分でもバカって思ってんでしょ? なら、諦めて最後まで聞きなさい。………好き」 最後の言葉は、思った以上に明瞭に聞こえた。カヲルは驚いて、大きく見開いた目でアスカをまじまじと見つめる。 表情は、窺えない。だが、背けている顔を誰にも見られたくないらしく俯いてしまっているし、頬も耳も赤一色だ。 「……ありがとう。そういうところも、大好きだよ」 ふっ、とくすぐったいような甘い笑みが溢れた。 アスカからの答えは、ない。顔の熱が冷めても多分、家の近所に行くまでは何も話しかけて来てくれそうにない。きっと、顔だって向けてくれない。 それでも、カヲルは満足げにずっと笑顔で歩く。 めったと聞けない言葉を年の始めから早々に聞けた事もあるし、家に帰ったら、この今は冷たい態度を取っている大切な幼なじみと共に過ごすという事が、すでに決まっているのだから。 元旦
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